◇◆げねらる・ぱうぜ◇◆

事務局長のエッセイ



皆さんこんにちは。オーボエ奏者の「菩薩」です。
(なぜ菩薩かは後でわかると思いますので、最後までお付き合いください)

色々お世話になっております。いつの間にやらマスター吉○さんから「指名」されていたようですので、私の音楽遍歴やオケアンの関わり等をお話しすることにしましょう。

中学入学時に色々なクラブの勧誘を受け、ブラスバンドのコーナー(?)へ行ったときに(きれーなおねーさんに)クラリネットを吹いてもらい、面白そうだったのと、「とって食ったりしないわよー♪」というニコニコ光線に誘惑されて、部活室へとトコトコついて行ったのがそもそもの運の「ツキ」ってやつでした。(「ツキ」を幸運と読むか尽きと読むか、それは読者のあなた次第です)

「トランペットどうだい?」

薦められるままにマッピつきペットを渡され、吹き方を懇切丁寧スピード仕上げで教えられ、ドレミファを一緒に吹き、B管読みで五線譜の下第一線のドから第四間、ミまで音が出ました。

「すげー、キミ天才。素質あるぜ!こりゃあ金のタマゴだ」

と色々おだてられ、気がつけば入団届けにサインしていたという
「悪徳商法に見事引っかかったおバカなやつ」
状態に「ハメ」られていました。
ものの見事に「とって喰われてしまって」ますね。笑ってやってください。

さてさて、ペットで釣られた私、しばらく色々経験したいという希望でメロホン →トロンボーン→ペットと渡り歩き、最終的にペットに落ち着きました。
その頃、ミュージックエ○○版の西部警察を練習していましたね。おっと見事にトシがばれそう。
最初の演奏会ではドボ九の終楽章をやりましたが、マヌケな事に、影譜までキッチリと吹いていました。
いやー、ペットってどえらい激務だなーと思いつつふんばって、第4楽章静かになったところ(クラリネットソロと弦楽器。詳細部分は下記リンクへGO!)

替え歌「わーたしがいちばんうまいー クラリネット下手下手」
【ホームページ 軽メナ・ブラーナ 「自信過剰なクラリネット奏者」より 】
http://www.carmenaburana.com/cgi-bin/read2.cgi?../csv/dvo060.csv

ここまで影譜があり、きっちり吹いていました。
誰も「オメーが吹くとこじゃないぜ」と、先生すら突っ込まなかったのどかさ。
ホノボノ光線出まくりの育ちの良さが伺えます。

さてさて、こういう調子で中学高校と6年間ペット一本槍でようやく卒業し、今の会社に就職し、京都北部の社会人吹奏楽団に入団しました。
同時期に京都市内のオケ「フォー○ムオケ」に入団し、オケ活動もここから始まり、オケアンの重鎮メンバーとはここで順次お知り合いとなりました。
12年程在籍し、途中で空中分解したり合体したり、色々ありましたが、オケの基本を学んだ貴重な時間でした。

結構長い縁なんですねえ、ねえ皆さん。
当時の同オケでは師範クラスがゴロゴロ・・いや、沢山おいでで、そのレベルの高さに毎回体力・精神力を限界までケズられました。
ペットは出番が少ない中で音色のよさが求められ、たった2時間の練習でへとへとになりました。京都北部から京都市内まで往復6時間かけて通っていましたが、この2時間より運転している6時間のほうがはるかに楽でした。
このオケでは色々と叩き直されましたね。
そこで、私の人生をガラリと変えるある出来事が起こります。

「その時、(私の)歴史が動いた」

当時オケには中学生のオーボエ奏者が在籍していましたが、それがとんでもなく上手で、しばしば音色に聴き惚れてオチて指揮者に睨まれました。
シューベルトの未完成二楽章、オーボエソロを聴いた、正にこの時『ピピッ』と電流が駆け巡り、オーボエが私を呼んだような気がしたんです。
その冬のボーナスは勿論国産オーボエ(初級者モデル)に姿を変え、翌年には『おフランス製高級モデル』へと進化し、きっかけとなったその方を師と仰ぎ、横で2番奏者として紆余曲折ありの猛練習を積み(待て外伝)、翌春のカルメンでオーボエデビューを果たしました。

それにしてもカネのかかるパートですワ。翌年にはコールアングレ(日本名イングリッシュホルンのフランス読み)を買い、一応普通車が買えるほどつぎ込みました。でもこれで止まらなかった。リード削り関係で楽器以上に○百万つぎ込み・・・・うわーん誰か愛の手をーっ・・・
(未婚ならではの大盤振舞。今じゃとてもとても、、、)


京都北部の吹奏楽団でも完全にオーボエへと転向し、フルートとクラリネットの間に入れてもらい、小さくおとなしく吹かせて頂きました。
(だれ?今笑ったの。怒らないから出ておいでっ!!)
その時カミさまは見ておいでだったんでしょうねえ。
(漢字変換は読者にお・ま・か・せ)

偶然隣に座っていたフルート奏者が今の家内(カミさんとも言う)でして、隣同士で同じような戦○、じゃなくて旋律を吹き、色々と団の仕事を一緒にするうちに、まあ、

○自然の摂理と申しましょうか、
○運命とでも申しましょうか、
○カミの配剤と申しますか、
○運のツキと申しましょうか、

結婚してしまった訳でございます。(待て外伝2)
そうこうする内に、京都市内への転勤を命じられ、本拠を現在の住所に移しました。

しばらくして京都○○○フィルハーモニー交響楽団(この頃創団後半年でした。私結構古参メンバーだったんですねえ・・今思うと)に入団し、本格的にオケ活動を展開し始めました。どういう訳か会計という役が回って来て(これは運の尽き、かな)、『仏(ほとけ)の会計』とか『菩薩(ぼさつ)の会計』とか冠称を付けて暫くモゴモゴ過ごしました。

「菩薩」。

これが今の私のセカンドネームともなっています。
(誰も「仏」をほとけと呼んでくれなかったっけなあ、、、あーあ)
チャイコ5という定番から鋼琴(ピアノ)協奏曲『黄○』という世にも珍しい誰も聴いたことが無いような曲まで経験できるビックリオケです。

時は流れ・・・・・
そうこうする内にコンマスの小○さんから『オケ作ったから遊びに来て下さい』と何食わぬ顔で誘いを受け、2002年1月の最初の練習に顔を出し、後日ファミレスに何食わぬメール(?)で誘われ、運営のことで「アドバイス頂きたい」とのことだったので何の気なしに行ったら、ものの見事に『事務局長』という役に『ハメ』られました。

うわー、何という運のツキ

ものの見事に取って喰われてしまってますね。
しかーし、今まで色々とお世話になった方々にご恩返しする良い機会。不束者ですが働かせていただきます。(三つ指ついて、、と)
さあて、今度は誰を「ハメ」・・いやいや、適所に人材登用しましょうか。これからが楽しみです。

よろしくお願いしまーす。

菩薩こと局長でした。




げねらる・ぱうぜ(おしながき)に戻る